グリコマークのモデルは誰?歴代デザインの変遷と道頓堀サインの秘密

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グリコマークのモデルは誰?歴代デザインの変遷と道頓堀サインの秘密
グリコマークのモデルは誰?歴代デザインの変遷と道頓堀サインの秘密
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🎵 グリコマークのモデルは誰?歴代デザインの変遷と道頓堀サインの秘密

大阪・道頓堀のシンボルとして世界中から観光客を引きつける、両手を掲げたランナーの看板。江崎グリコのパッケージでもおなじみの「ゴールインマーク」ですが、あのポーズを取る走る人には実在のモデルが存在したのか、なぜ両手を高く広げているのか、疑問に思ったことはないでしょうか。

実は、このマークの誕生には日本のスポーツ史を揺るがした複数の名アスリートの存在や、創業者・江崎利一氏の情熱的な人間観察が深く関わっています。創業期から現在に至るデザインの変遷、道頓堀看板の進化まで、知られざる舞台裏を紐解きます。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:「走る人」のモデルは単一の人物ではなく、日本マラソンの父・金栗四三氏をはじめとする複数の実在アスリートのフォームを融合して設計された。
  • 要点2:ポーズの由来は創業者が目撃した「かけっこでゴールした子どもが両手を挙げて喜ぶ姿」であり、健康と勝利の喜びを象徴している。
  • 要点3:初代マークは「顔がリアルすぎて怖い」という声を受け、歴代7回以上の細かなリニューアルを経て親しみやすい現在の表情へと進化した。

【創業の経緯】栄養菓子から誕生した「ゴールインマーク」の原点と意味

江崎グリコの歴史は、1922年(大正11年)に創業者の江崎利一氏が栄養菓子「グリコ」を発売したことから始まりました。利一氏は牡蠣の煮汁に含まれる栄養成分「グリコーゲン」に着目し、子どもの健康増進に役立つキャラメルを作りたいという強い志を抱いていました。

当時、新しい菓子を世に広めるために不可欠だったのが、子どもや親の目を引く象徴的な商標です。「健康を育む菓子」というコンセプトを直感的に伝えるため、利一氏が選んだテーマが「スポーツ」でした。スポーツを通じて得られるエネルギーや健やかさを表現するシンボルとして、「ゴールインマーク」と名付けられたランナーの図案が誕生したのです。

「一粒で300メートル」という有名なキャッチコピーも、キャラメル1粒のカロリー(当時は15.4kcal)で成人男性が走れるエネルギー計算から算出されたものであり、マークの意味と製品性能が見事に結びついていました。

【実在モデルの真相】金栗四三ら名選手を融合した「走る人」のポーズ理由

多くの人が抱く「あのランナーは誰なのか?」という疑問。結論から言うと、特定の1人だけをそのままトレースしたモデルではなく、当時の世界トップアスリートたちの理想的なフォームを研究・合成したものです。

デザインの土台として大きな影響を与えたのが、日本初のオリンピック選手であり「日本マラソンの父」と称される金栗四三氏です。さらに、1924年パリ五輪で活躍したフィリピンの短距離走者カタロン選手や、中長距離の王者パブロ・ヌルミ選手、さらに日本の陸上短距離で活躍した谷三三五(たに・ささご)選手などの競技写真を徹底的に分析。頭部、胸の張り、足の蹴り出し角度などをパーツごとに検証し、もっとも躍動感のあるフォルムが作られました。

そして最大の特徴である「両手を広げてゴールするポーズ」の理由は、創業者の原体験にあります。利一氏が神社で遊ぶ子どもたちを眺めていた際、かけっこで1着になった子どもが両手を高々と突き上げてゴールした瞬間を目撃し、「これこそが健康と達成感の最高の表現だ」と直感したことが決定打となりました。

【歴代デザインの変遷】「顔が怖い」初代から親しみやすい現代版への進化

現在のグリコマークは爽やかな青年の笑顔ですが、1922年登場の初代グリコマークは全く異なる印象でした。

初代マークは、筋肉の筋や肋骨、やや険しい表情が写実的に描かれており、発売直後に消費者から「顔が怖くて子どもが泣く」「痩せすぎている」といった厳しい意見が寄せられました。これを受けた利一氏はすぐさま修正に着手します。

昭和3年(1928年)の第2代デザインではふっくらとした若々しい顔立ちに改められ、昭和28年(1953年)には親しみやすい「スポーツマンの笑顔」へと洗練。昭和41年(1966年)、平成4年(1992年)のコーポレートアイデンティティ(CI)導入時にも、瞳の輝きや口元の角度、体型バランスのミリ単位の微調整が行われました。時代ごとの美意識と安心感に寄り添いながら、ランナーは現在の姿へとアップデートされ続けています。

【道頓堀サインの歴史】巨大ネオン看板の誕生から最新LED第6代までの歩み

大阪・ミナミの象徴である道頓堀のグリコサインは、1935年(昭和10年)に初代が設置されました。高さ33メートルの鉄塔にネオンが輝く巨大看板は、当時の大阪市民に強烈なインパクトを与えました。

第二次世界大戦中の金属類回収令による撤去という苦難を乗り越え、1955年に第2代として復活。噴水付きのユニークな第3代、陸上競技場のトラックを背景に走る第5代などを経て、2014年秋に点灯したのが現在の第6代看板です。

現在の道頓堀グリコサインは、約14万個の省エネLEDチップを敷き詰めたフルデジタル仕様。日中は爽やかな青空を背景に走り、夜間になると夕焼け、夜景、季節イベントに合わせた光の演出へとダイナミックに変化します。世界中から訪れる旅行者が看板の前で同じポーズをとって記念撮影をする光景は、道頓堀の日常風景として定着しています。

【知られざる裏話】デザイナーの苦心と時代背景が映し出すブランド哲学

グリコマークが完成するまでには、社内デザイナーや当時の絵師による膨大な試行錯誤がありました。利一氏はデザインに関して一切の妥協を許さず、心臓の鼓動や呼吸の息遣いまで伝わるような躍動感を求めました。

当時、絵師に何度も描き直しを命じる中で、利一氏自らがポーズをとって見せたり、周囲の社員に走らせてフォームを確認させたりしたという記録も残っています。

単なる製品ラベルにとどまらず、「おいしさと健康」を届けるという企業の社会的使命を視覚的に刻み込んだゴールインマーク。一世紀以上にわたって形を変えながら受け継がれてきたその線の一本一本には、創業者の情熱とクリエイターたちのクラフトマンシップが息づいています。

【グリコのマーク】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:グリコのマークのモデルは金栗四三さん1人だけですか?
A1:いいえ、金栗四三氏をはじめ、カタロン選手やパブロ・ヌルミ選手、谷三三五選手など、当時の国内外の名アスリート複数人のフォームを研究して融合させたデザインです。

Q2:なぜ両手を高く上げてゴールしているのですか?
A2:創業者の江崎利一氏が、子どもたちがかけっこをして1着でゴールした際に両手を挙げて喜ぶ姿を見て、「健康と勝利の喜びを最も象徴している」と感じて採用しました。

Q3:道頓堀の看板は今どうなっていますか?
A3:現在は2014年に点灯した第6代看板が稼働しています。全面LEDパネルになっており、夜間には背景が変化する鮮やかなライトアップ演出が行われています。

まとめ:時代を超えて走り続ける「健康と挑戦」のシンボル

道頓堀の街を見下ろし、お菓子のパッケージの上で笑顔を見せるグリコのゴールインマーク。その原点には、「子どもたちに健康と活力を届けたい」という創業者の揺るぎない理念と、実在のアスリートたちへの敬意が込められていました。

「顔が怖い」と言われた初代から最新のLED看板に至るまで、時代ごとの人々の心に寄り添いながら変化を恐れずに進化してきたからこそ、100年を超えてなお愛され続けています。次にグリコの製品や道頓堀の看板を目にする際は、その躍動感あふれるポーズに秘められた歴史と職人たちの情熱に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。 (出典: グリコ の マーク(Yahoo!ニュース)

グリコ の マーク
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